BRAND MESSAGE 「はたらく」を支え続けて120年 History & StoryBRAND MESSAGE 「はたらく」を支え続けて120年 History & Story

History 創造と革新

日本三大絣のひとつ
“備後絣”のふるさと新市で創業

福山市からJR福塩線に乗って約40分。たおやかな芦田川の流れに沿って開けた福山市新市町は備後絣のふるさととして知られています。日本三大絣のひとつ“備後絣”。福山藩の初代藩主 水野勝成が綿栽培を奨励し、農家の副業として綿織物が織られ、福山城下の問屋などで販売させたことに始まります。
江戸時代末期に、糸束を竹の皮と麻糸でくくり染まるところ染まらないところをつくり、これを織り絣としました。ジャパンブルーとも讃えられた深い藍。素朴だけど飽きのこない絣の文様。研鑽は続きやがて備後絣として広く知られるようになります。
備後絣が福山発の工芸品として知られ、発展していく過程で重要な役割を果たしたのが問屋でした。コーコス信岡は備後絣の卸問屋として創業。屋号は信岡商店。明治34年(1901)のことです。

問屋から縫製業へ、
「創造と革新」のルーツ

動力ミシンを導入し始めたころから飛躍的に生産量を伸ばしていった備後絣。昭和初期には年産100万反を突破、昭和30年代の最盛期には年産300万反に達し、三大絣のうち他の2ブランドを大きく凌ぎました。備後絣による女性の作業着“モンペ”は日本中で愛用されるようになったのです。
そんな中でも「問屋業に未来はない」、3代目信岡正郎の入社をきっかけに信岡商店は縫製業へ転身します。昭和35年(1960)、社名を「信岡センイ」としました。問屋の多くが縫製業へ転身する中で、「後発だけにどこも手掛けていない取り組みを」そんな意気込みはすぐに結実します。
当時、高度成長期に入った日本の企業はCIが進んでいました。新しい企業イメージの創出に、信岡センイが提案したブルーやピンクといったカラフルな作業服が好評を持って迎えられたのです。作業服といえばグレー系、そんな当時の概念を覆す勇気あるチャレンジでした。

海外進出、
そして思いを込めて新しい社名へ

業界がタブーとしてきた商品づくりにも、働く人々のニーズがある限り、積極的に挑戦しました。在庫となるリスクがあるため他社も手掛けていなかった季節もの、とりわけ夏物商品を開発。そうした新商品をいち早く手に取ってもらうための、販売代理店向けの展示会開催も先駆けでした。ほかにも、ニット製ワークウェア、カジュアルワークなど、独自の魅力的かつ挑戦的な商品をいくつも仕掛けていき、販売は拡大していきます。
さらなる成長をめざすなかで、大きな課題に直面したのが平成の時代を迎えてからです。現有の生産拠点だけでは、販売増に応える増産は不可能でした。しかし、国内にもはや下請け工場はありません。そこで検討したのが海外生産です。さまざまなリスクや問題点を洗い出しながら、準備期間を経て平成6年(1994)、中国の自社工場が稼働。こうした動きも業界では先駆けとなりました。
平成3年(1991)、創業90周年の節目を迎えた当社は、『コーコス信岡』に社名変更しました。社是でもある「共存共栄(Coexistence and co-prosperity)」に由来するもの。そこには、社員や地域と、そしてグローバルに共存共栄を求める企業の姿がありました。

販路拡大とブランディング、
さらなる飛躍へ

1990年代になり当社が新たな販路としたのが、当時急速に全国に拡大していたホームセンターでした。ホームセンターでの展開は大きな副産物をもたらします。売場全体のトータルな提案を可能とするため、ワークウェアとともに靴や手袋などの関連商品「ワークギア」を投入。ワークウェアメーカーとして歩み続けてきた当社が、働く人々が身につける全てのものを提供するメーカーへと生まれ変わった瞬間でした。また、2009年にはアメリカ発の人気ワークウェアブランド“ディッキーズ”を導入。コーコス信岡ならではの機能性を加えたブランドの発信は、“創造と革新”のDNAをさらに刺激し、“アンドレ・スケッティ”“グラディエーター”“関東鳶”といった個性的なブランドを育て、多くのファン獲得に寄与しています。

“激動”といわれた昭和という時代を地域とともに生き抜き、あらゆる時代の変化にも持ち前の進取の気性とチャレンジ精神で乗り越えてきたコーコス信岡。120年変わることのない“創造と革新”の歴史は、次なる150年、200年への確かな礎に違いありません。

Story 共存共栄の未来

“創造と革新”のDNAを未来につなぎ、
独自の企画力で幅広い提案を

コーコス信岡は「メーカーとしてこれからも生きてゆく」ことを全社挙げて共有しています。創業以来の当社のDNAであり社是である「創造と革新」を力強く実践していくため、多くの同業者が生産拠点を海外に依存する中、当社では地元に小さい規模ながら工場を残しています。近年、技術職の新卒採用に注力するのは、将来に向けて優れた職人を育成しようとするメーカーとしての確かなメッセージでもあります。
求めるのは、働く人に寄り添った喜ばれる商品づくり。これを実現していくところにモノづくりの喜びや面白さを見いだせる社風でありたい。当社では一貫して、失敗することより、チャレンジしないことが成長を阻害するとしてきました。失敗の中にこそ、「創造と革新」の萌芽があります。
これを土台にした企画力で、さまざまな「あったらいいね」を高品質で安定感のある商品として提案できる、そんなメーカーとしての幅広い展開力こそ当社の強みです。

変化に対応できる
確かな物流・販売体制を構築

技術を継承し、企画力を培い、多くの人々に愛される商品を提供したい。このために必要となるのが、確かな物流と販売体制です。現在当社では、タイムリーに安定して商品をお届けするために、国内に4拠点の物流センターを配置。常時数百万点に及ぶ商品をストックし、在庫情報をリアルタイムに販売代理店へ提供しています。
しかし、ユーザーニーズや販売チャネルの多様化が進む中にあって、今後はより一層あらゆるものの精度を高め、お客様の声に即座に対応できる仕組みと体制を作らなければなりません。また、地球規模で進む自然環境の変化や、国内外における労働人口や労働環境の変化など、めまぐるしく変わる状況にもメーカーとして迅速に対応していかなくてはなりません。これらの大きな変化の中で、将来の成長を見据え、新たなデジタル技術も活用して物流、販売面を強化し、変化に柔軟に対応する取り組みを進めてまいります。

すべての社員、
すべてのお客さまとの“共存共栄”

当社では業界では珍しいとされる女性をトップに、職場においては女性社員が約4割を数えています。顧客の多くが男性の業界ですが、性別に関係なく、適材適所に様々な仕事やポジションを経験することで成長し、活躍できる企業となることを目指しています。
そのためにも、男女を問わず仕事と家庭の両立ができる環境を整えることで、誰もが働き甲斐を感じ、成長を実感できる体制をつくり、社員とも共存共栄の関係となるような企業でありたいと願っています。
また、商品開発においても、「はたらく」人の安心と安全、快適さの提供という基本コンセプトのもと、男性、女性にこだわらす、着用される方に寄り添った、オリジナリティのある商品を創出していきます。
そのためにも、これからは女性がもっと高いレベルで活躍できるよう女性社員の成長を促すとともに、男女を問わず仕事と家庭の両立ができる体制づくりを進めます。

地域に寄り添い、
社会に貢献する企業をめざして

令和3年(2021)、創業120周年を迎えた当社は、記念事業の一環として、地元のサッカーチームである福山シティFCとオフィシャルトップパートナーとして契約させていただきました。福山シティFCが掲げる「サッカーというスポーツを通じて、希望に満ち溢れた活力ある福山を創生する」ミッションに共感し、福山という地方都市からトップリーグ参入を目指し一丸となって努力するチームの姿は、当社の“創造と革新”の精神に通じるものがあり、特に次世代への大きな財産となることは間違いありません。
21世紀に入り、環境問題や人権問題、労働の問題など、グローバルな視点で取り組む必要がある課題が増えています。当社はこれらの課題に対し、常に「はたらく」人に寄り添い、地域に寄り添う眼差しをもって、真摯に向き合っています。